特別展
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始皇帝と大兵馬俑
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THE GREAT TERRACOTTA ARMY of CHINA'S FIRST EMPEROR |
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陝西省の19の博物館から精選した約 120 件の貴重な文物が結集! |
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今から約2200年前、秦の国王・嬴政は中国大陸にはじめて統一王朝を打ち立て、「最初の皇帝」 という意味の始皇帝を名乗りました。 その巨大な陵墓のほど近くに埋められた、約
8000 体の陶製の兵士や馬などからなる 「兵馬俑」 は、20世紀最大の考古学的発見のひとつといわれ、1974 年の正式な発掘調査以来、新しい知見と驚きをもたらし続けています。 |
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'2015 10_26 「始皇帝と大兵馬俑展」報道内覧会の会場内の風景です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。 |
© 陝西省文物局・陝西省文物博物局・秦始皇帝陵博院 |
報道内覧会 '2015 10_26 「始皇帝と大兵馬俑展」 |
地底の都の栄華
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―始皇帝が夢見た 「永遠の帝都」― |
「展示構成」―本展覧会 図録 「始皇帝と大兵馬俑展」、 PRESS RELEASE より抜粋して掲載しています― |
本展覧会は、最新の発掘成果を取り入れながら、兵馬俑をはじめ、秦王朝と始皇帝にまつわる貴重で多彩な文物を一堂に紹介するものです。 秦とライバル国、遊牧民、さらには西周王朝とのかかわりを物語る青銅器・金銀器・土器などを通して、その道のりをたどります。
また、「将軍俑」 や 「騎兵俑」 「雑技俑」 などバリエーション豊かな兵馬俑を核に、始皇帝が空前の規模で築き上げた陵墓の 「永遠なる世界」 の実像に光をあてる
Ⅲ 章の構成になっています。 |
「本展の構成」 |
'2015 10_26 報道内覧会「始皇帝と大兵馬俑展」の各章の概要と会場内展示風景です。 |
第Ⅰ章 秦王朝の軌跡 ―周辺の小国から巨大帝国へ |
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・4 《玉胸飾り》 一連 玉・瑪瑙 縦 56.0、 最大幅 30.0 西周時代・前 10~前 9 世紀 扶風県強家村出土 宝鶏市周原博物館 |
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玉 ―王侯のよそおい 西周王朝は身分の上下を明らかにし、その厳正な区分によって社会の秩序を保とうとした。 身分の上下による区別は、「佩玉」 (さまざまな形の玉器と、ときに玉以外の材質、たとえば瑪瑙・水晶などで作った珠や管玉に紐を通して一連のものとした、複合型の装身具
《玉胸飾り》 など) の形状の違いにまで及んだ、という説もある。 |
第Ⅱ章 始皇帝の実像 ―発掘された帝都と陵園 |
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・80 《取水口》 1個 陶製 高 31.5、口径 61.8~63.0 戦国~秦時代・前 3世紀 咸陽市咸陽宮殿址出土 秦咸陽宮遺址博物館 / ・81 《L字形水道管》 1個 陶製 高
36.0、長 37.5、幅 28.0、外径 21.3~26.5 戦国~秦時代・前 3世紀 咸陽市咸陽宮殿址出土 秦咸陽宮遺址博物館 / ・82
《水道管》 1個 陶製 長 60.5、外径 23.2~28.8 戦国~秦時代・前 3世紀 咸陽市咸陽宮殿址出土 秦咸陽宮遺址博物館 |
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秦を支えたインフラ整備 組合わせ式の陶製の水道管。 漏斗状の大きな受け皿とL字形が連結し、さらに円筒状の管を横方向に連続させて地下に水を流した。 こうした水道管はいくつも連結させ長距離にわたり敷設されていたと考えられる。 同様の導水施設は始皇帝陵をはじめいくつか発見されている。 本例のような導水施設は始皇帝の地下世界を水害から守る治水対策の一環で用いられ側面もあり、秦の高度なインフラ整備の一端をかいま見ることができる。 |
第Ⅲ章 始皇帝が夢見た 「永遠の世界」 ―兵馬俑と銅車馬 |
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右・101-1 《騎兵俑》 1組(軍馬と) 陶製 高 185.0、幅 54.0 秦時代・前 3世紀 西安市臨潼区始皇帝陵2号兵馬俑坑出土 |
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右・101-1 《騎兵俑》― 騎乗用の装備を着用― 2号兵馬俑坑は、平面形が L字型に展開する地下坑で、総面積 6000 平方メートル。 前方に立射俑・跪射俑を配し、その後方に騎馬兵と戦車隊が並べ置かれていた。
本品は軍馬と相接して置かれ、手綱や武器を手にしていた。 |
© 陝西省文物局・陝西省文物博物局・秦始皇帝陵博院 |
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永遠の帝都、その構成を再現する ―1970年代、世間の衆目を集めた兵馬俑坑の発見は、広大な規模の秦の始皇帝陵の氷山の一角をあらわにした。 豊富な埋蔵品を誇る巨大な墓の主は、戦国時代の六国との争いを終わらせて天下を統一し、自ら始皇帝と名乗った嬴政である。
彼は皇帝が最高の権力をもつ皇帝集権制の大帝国、秦を築いた。 秦王朝が創始した統一の規範と国家の支配体制は、2000年以上にわたって東アジア地域の政治、経済に影響を与えた。…
1987年、ユネスコは秦の始皇帝陵を世界遺産に登録した。 その会議の紀要のなかで、これを世界最大の考古学の成果のひとつであると称え、全人類の高度な知識を表わすものとして、きわめて高い評価を与えた。…(図録からの抜粋文章です。) 張 衛星
(秦始皇帝陵博物院 研究館員) |
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始皇帝略年譜 |
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前 259 昭襄王 48年 嬴政、人質として送られていた秦の公孫(後の荘襄王) の子として趙国で生まれる。 |
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始皇帝とは 嬴政は前 259 年に秦王の人質として送られていた公孫(後の荘襄王) の子として趙国で生まれた。 数奇な運命によって、秦本国に戻り、前 247
年に数え年 13 歳で秦王に即位した。 即位後は重臣・呂不韋の補佐を受けたが、前 237 年に嫪毒の内乱に加担した疑いで呂不韋を処罰すると、自立して親政を始めた。
前 230 年以降、秦王・政は韓を筆頭に他国を次々と滅ぼし、前 221 年には中国で初めて天下を統一した。 これを機に、政は王を超える地位である
「皇帝」 を創出し、初代の皇帝、すなわち始皇帝となった。 しかし、前 210 年に50歳で亡くなると、わずか3年で秦は滅びてしまう。 |
お問合せTel:03-5777-8600 (ハローダイヤル) 展覧会公式サイト:http://heibayou.jp 主催:東京国立博物館、陝西省文物局・陝西省文物交流中心、 NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社 後援:中国大使館 協賛:野崎印刷紙業 協力:全日本空輸 |
参考資料:「始皇帝と大兵馬俑展」図録、 PRESS RELEASE 他。 |
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